あらゆるゲームには「先攻・後攻」が存在する。勿論存在しないゲームもあれど、大抵は発生するであろうどっちから始めるんだ問題を効率的に解決する、極めて理にかなった概念である。
カードゲームにおいてもその概念は存在するのだが、一般的な娯楽と違って先後の平等性が圧倒的に少ない
つまり、ゲームを始める前から「先攻が欲しい」「後攻が欲しい」という思いが両者にあるため勝負が始まる前から勝負は始まっているという、そんな感じの、やつ。
文脈が破裂的
さて、思い返すは「初めてサイコロで先後を決めた」大会。
カードショップの非公認大会にて、人生で初めて「先攻後攻ダイスでいいですか?」と聞かれた。
一瞬固まる。
今の今まで、友人と対戦する時でさえジャンケンを利用していたためだ。
目の前に差し出されたのは20面ダイス。面の数が、あまりにも異常
そんなに面、いるのか?通常の6面ダイスでない理由は?
いや、そもそも「通常のダイスは6面である」という事自体、常識に囚われているのかもしれない。
ドメジャー遊具「すごろく」だって、実は20面ダイスを使用していたって不思議はない
「じゃあ次は俺の番だな(ゴトッッッ)」
「「「!??!?」」」
「おっ、17が出たw もうゴールじゃんw」
20面ダイスの方が遥かに早くゴールできるのだから、6面ダイスを使い回している中に突如として周りを圧倒する20面ダイスは、シンプルに、強い。
などと考えている間に、対戦相手は何かを発した。
「あ、落ちたり引っ掛かったりしたらkj(+dr#+k;;#@gすか?」
早口でよく聞き取れなかったが、陳腐で劣悪なプライドが炸裂して「ああそれね、分かってますよ」感をもって振る舞いたいと思い、眉間にシワを寄せて難解な問題を理解したかのような真剣な顔つきで、深く頷いた
「了解しました」
待て。
何が、そのダイスが「落ちたり引っ掛かったり」したら、どうなるんだ
もう一度聞こうとしたが、相手はいわゆる大会慣れしている風であったため、緊張のあまり聞き返せなかった。
もしかしたら、相手が殺意を持っていて「落ちたり引っ掛かったりしたら、お前を始末してもいいですか?」と聞かれたのかもしれない。
それに対し、いぶし銀な表情で「了解しました」なんて答えた自分も、対戦相手も、至極真っ当なサイコパスであると仮定できる。
そして「サイコロが落ちたり引っ掛かったりしたら何かしらヤバイ」という情報のみが頭に刷り込まれたまま、いよいよ相手がサイコロを振ろうとする。
「祈りのポーズ」の如く手の中にサイコロを包み込んだかと思えば、次なる衝撃の発言に思考を乱された
「あ、上か下か、どうします?」
ウエカシタカ、ドウシマス
一般的に、人は「上」を目指したい。レベル、段階、ステータス・・・
そのあらゆる分野にて、殆どの状況においては「上」が良いとされる
そりゃ、上でしょ。なのに「下」
なんで「下」って選択肢があるんだ?
頭が、パンクしそうだった。というか、そのサイコロを手に包み込む動作、なに?
良い数字が出ますように、という祈りを込めての願掛けなのだろうか?後で自分もやろう
などと気を紛らわすも「ウエカ、シタカ☆ドウシマスウウウ??☆」という呪文は、止まることなく延々と脳裏をよぎる
そしてようやく決まった。「上でお願いします」
何が「上」になるのか分からない。地位か、はたまたランクか。ともなく「上」ならば問題無いだろう。思考を放棄していた
いよいよ相手はサイコロを振る。その「祈りのポーズ」でもある両手こぶしが無尽蔵に振動したかと思えば、突如、両手がオープン。
サイコロが、勢いよく飛び出る。
相手は先程言った。
「落ちたり引っ掛かったりしたらkj(+dr#+k;;#@gすか?」
よって「落ちろ!引っ掛かれ!」と気味の悪い祈りを、込める。
出た数字は「4」。
散々よく分からないプレッシャーを掛けられたが、20面においての「4」とは6面ダイスならば「1.2」に相当する。勝ちを、確信した
引っ掛からないように細心の注意を払いつつ、対戦相手がやっていたように「祈りのポーズ」を駆使してサイコロを振る。
20面において4以上を出すなんて容易いことだ。確率が味方だ
20面ダイス「コロロロ…(1)」
この日、確率は敵となった。
そして、始まる。
先攻を拾えて、嬉しそうな対戦相手による怒涛の先攻展開が────
現在
しっかり「落ちたり引っ掛かったりしたら振り直し」を確認するし「(先後を選ぶ権利は)上か下か」を聞くし、聞かれる
それでも、今でさえ。
初めて対面する出来事や事象で混乱すると、今でも脳裏によぎるのだ。
祈りのポーズで、かつ両手こぶしをブンブン振りながら、その方は呟く
「ウエカ☆シタカ」